月日は百代の過客にして行き交う年もまた旅人なり 松尾芭蕉
人は時として現実を離れてみたい、未知の世界に行ってみたい。
そこに何か自分の理想があるような気がする。
旅をする人の気持ちは この様なものだろう。
私が海外旅行をするのも その例外ではない。
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2007年02月11日

荘厳なゴシック様式の建物内部にはリーメンシュナイダーの彫刻など芸術品がいたるところに見られる。
中央祭壇はリーメンシュナイダー作の12使徒祭壇。
左にあるのがサクラメント棚。
(写真撮影 富澤巌氏)
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2007年02月12日

聖ヤコブ教会の巨大なステンドグラス。
(写真撮影 富澤巌氏)
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聖ヤコブ教会の尖塔は二つあるが、形が同じではないという。
残念ながら訪ねたとき、片方の塔は修復中で確認できなかった。
(写真撮影 富澤巌氏)
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2007年02月13日

ローテンブルクを南下してディンケルスビュールの町に入った。
ここはフランク王国の王宮の周りに出来た集落が発展して町になった。
中世の町並みがそのままの姿で現存している数少ない町のひとつである。
(写真撮影 富澤巌氏)
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ディンケルスビュールの聖ゲオルク教会は南ドイツで最も美しい教会といわれている。町の中心マルクト広場にありロマネスク様式とバロック様式が混在するカトリック教会で1499年に建造された。
この教会の塔の壁面(右側の屋根の上部近く)に日時計があるのが見える。
(写真撮影 富澤巌氏)
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2007年02月14日

ディンケルスビュールの市街地は沢山の門と城壁に囲まれている。
たまねぎの様な屋根とその色が個性的なゼークリンガー門は1648年の30年戦争の末期にスエーデン軍から致命的な被害を受け倒壊したが、1655年にバロック様式で再建された。
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南ドイツには美しい木組みの家が多い。
材木の不揃いな間隔と曲線が建物に個性を与えている。
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2007年02月15日

ネルトリンゲンは1500万年前に隕石が落ちて出来たリース盆地にある町である。
この町の聖ゲオルク教会は南ドイツ最大の教会である。
教会内は広く天井も高い。
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聖ゲオルク教会の古いオルガン。
1610年ごろのオルガンであるが、デザインがとても良い。
(写真撮影 富澤巌氏)
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2007年02月16日

アウクスブルクは商人と職人が造り上げた中世ルネサンスの町である。
写真は市庁舎斜め前に立つ、噴水。
町の1600周年を記念して、1594年に作られた。
(写真撮影 富澤巌氏)
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噴水の中心の像はアウクスブルクの設立者であるアウグスティヌス。
周りは4つの像は4つの川をシンボル化したもの。
(写真撮影 富澤巌氏)
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2007年02月17日

アウクスブルクの市庁舎。
見事なルネッサンス様式の建物である。
たまねぎ型のドームがあり、切妻屋根の上には街のシンボル「松かさ」のオブジェがある。
第2次大戦の空襲で被害を受けたが、1985年に約3kgの金箔を使って「黄金の間」が復元された。
(写真撮影 富澤巌氏)
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アウクスブルクの市庁舎すぐ横の、高さ76mの塔がペルラッハの塔だ。
1612から8年かけて、市庁舎を建てた建築家エリアス・ホルによって塔が完成した。
土台の部分は実は教会である。
このセント・ピータース教会は1182年に建てられている。
(写真撮影 富澤巌氏)
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2007年02月18日

市庁舎の「黄金の間」はアウクスブルクの繁栄を象徴するホールで、その名のごとく ふんだんに金が使われている。(約3kg)
けれども、ベースが木でできた部屋なので こてこてのケバサはない。
(写真撮影 富澤巌氏)
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市庁舎の「黄金の間」の天井。とても鮮やかな天井画。
(写真撮影 富澤巌氏)
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2007年02月19日

黄金の間の天井。
天井画が素晴らしい。
(写真撮影 富澤巌氏)
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ここは世界最古の社会福祉施設、フッガー家が建てたフッゲライである。
1514年に設立されたこの施設は、アウクスブルク市民の福祉住宅として今も使われている。
現在でも家賃は開設当時と同じで、年間88セントだ。
設立当時は困窮しているが負債のない、カトリック信者の市民が入居していた。
現在この住居の一部が博物館として使われている。
またここの住居の一室は、かつてモーツアルトの祖父が住んでいた(1681〜93年)。
この施設を見学中に中世の衣服を着た変な小父さんが現れた。
「幾らか寄付を頂きたい」という。
多くの富豪が住んでいたアウクスブルクなのに、私達から寄付を貰う必要ないだろう と思ったが、年間88セントでは可哀想だと思い 小銭をパラパラ。
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2007年02月20日

ヴィース教会はシュタインガーデンの町はずれ、牧草地の中にぽつんとある巡礼教会である。
1730年にマグヌス・シュトラウプ神父とルカス・シュバイガー修道士が、シュタインガーデンのプレモントレ修道院において、寄せ木作りの鞭打たれる救いの主の像を造った。
けれども血と傷で覆われた木像は、あまりにも悲惨なため信者の同情を呼び、1734年以降使われなくなる。
使われなくなった木像はシュタインガーデン修道院付属食堂の主人の屋根裏におき忘れ去られてしまう。
それから1738年3月4日に、農婦マリヤ・ロリーが、自らの農場にこの木像を譲り受け熱心に祈りを捧げた。
ある日の夕拝中に、突然、救いの主が涙を流した。
続く翌日の早朝にも救いの主は涙を流した。
この「ヴィースの奇跡」は瞬く間に広まり、それ以降多くの人がこの救いの主の像を巡礼するようになった。
最初は小さな礼拝堂が建てられたが、あまりにも巡礼者が多く、受け止められなくなります。1743年、教会の建設計画がシュタインガーデン修道院長より計画された。
1746年、基礎がおかれここに教会建築が始まる。
1754年ヴィース教会の献堂式が行われ現在に至っている。
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ヴィース教会のパイプオルガンは見た目も美しいが、音の良さでも知られている。時々ヴィース教会でコンサートが行われているとのこと。
ヴィース教会はヨーロッパで最も美しいロココ教会といわれ、その内装は美しくまた煌びやかである。
ヴィース教会は1983年にユネスコの世界遺産に登録された。
(写真撮影 富澤巌氏)
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左側の祭壇。
罪深い女が シモンの家でイエスの足に香油を塗る場面が描かれている。
(写真撮影 富澤巌氏)
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