月日は百代の過客にして行き交う年もまた旅人なり 松尾芭蕉
人は時として現実を離れてみたい、未知の世界に行ってみたい。
そこに何か自分の理想があるような気がする。
旅をする人の気持ちは この様なものだろう。
私が海外旅行をするのも その例外ではない。
古い記事を読みたい時は、画面一番下の「過去ログ」の
「年月」をクリックして下さい。
2006年12月11日

コルドバの歴史地区に入ると馬車が待っていた。まるで中世にタイムスリップ。
料金は4人乗りで3000円位だった。
posted by Goro at 07:37|
Comment(0)
|
TrackBack(0)
|
旅行記

この寺院キリスト教なのか回教なのか。
実は最初キリスト教徒のサン・ビセンテ教会を785年にイスラムのアブデラマンT世が買取り3年後に回教寺院として完成させた。その後歴代の王は増築を繰り返した。そして1523年に再びキリスト教の大聖堂が建築され完成したのは1750年である。
従ってイベリヤ半島の民族の支配時期の変遷と それに伴うキリスト教文化とイスラム文化の融合を見ることが出来る。
写真は回教寺院部分の柱で850本あるとのこと。画面が暗いのは回教寺院部分の扉が閉鎖されているため。
posted by Goro at 08:07|
Comment(0)
|
TrackBack(0)
|
旅行記
2006年12月12日

天井も高く明るい日差しが差し込んでいるのがキリスト教大聖堂。
この大聖堂は回教寺院の一部を破壊して造られた。
仕切りの壁はゴシック様式、後部はルネサンス様式、合唱壇はバロック式と様々な建築様式によりその時代の最新技術により作られている。
この大聖堂 完成するまで243年かかった。
posted by Goro at 07:50|
Comment(0)
|
TrackBack(0)
|
旅行記

メスキータは庭園も美しい。
総面積は日本式の面積計測でいうと8千坪と云っていた。
大聖堂の鐘楼の高さは45メートルで郊外からもよく見える。
posted by Goro at 08:18|
Comment(0)
|
TrackBack(0)
|
旅行記
2006年12月13日

オレンジのパティオ
回教寺院から一歩外に出ると綺麗な庭があった。
オレンジのパティオといって、回教徒はここの庭の池で口手足を清めた。
今はもう池はない。
posted by Goro at 07:24|
Comment(0)
|
TrackBack(0)
|
旅行記

ユダヤ人街を入った所に「花の小道」があった。
ここは白い壁に花が咲き乱れる植木鉢が幾つもあると聞いていたが、残念ながら花は少なかった。
でも、路地の奥から白壁に挿まれた大聖堂の鐘楼が綺麗。
posted by Goro at 07:41|
Comment(0)
|
TrackBack(0)
|
旅行記
2006年12月14日

コルドバから130キロ西のほうにセビリアがある。ローマが本格的にイベリヤ半島を支配した時に、ここの州都をイスパリスといい、スペインの古名イスパニアの語源になった。
またアメリカ大陸発見後、18世紀までアメリカ貿易の独占基地として栄えた。
当時の船はグアダルキビール川を100キロも遡り、セビリャの中心部のアレナール地区までやってきた。
当時セビリャは世界一豊かな街だった。
スペイン広場は美しい彩色タイルで舗装されスペイン各地の歴史や地図が書かれている。
posted by Goro at 08:02|
Comment(0)
|
TrackBack(0)
|
旅行記

セビリアの代表的公園はマリア・ルイーサ公園とムリーリョ公園だ。
ムリーリョ公園内にはアルカンサスの葉やゴムの木など珍しい植物もある。
また写真の様なモニュメントも多い。
このモニュメント 一番上のライオンの足の下に1492と書いてあった。
アメリカ大陸発見のモニュメントだ。
posted by Goro at 08:17|
Comment(0)
|
TrackBack(0)
|
旅行記
2006年12月15日

真白い壁に細く入り組んだ路地。「ここはアンダルシアだ」と実感させる。
ここには安いホテル、うまいレストランがあり、こんな所に住みたくなる。
ところが掲示板には「引ったくりにご用心」と書いてあった。
posted by Goro at 07:50|
Comment(0)
|
TrackBack(0)
|
旅行記

この大聖堂 建築は1501年から始まり完成は1511年。
建築様式は最初ゴシック 後期はルネサンス様式。
当時のセビリア人は世界一の大聖堂を造ろうと意気込んだが、残念ながら第3位である。(1位ローマのサンピエトロ、2位ロンドンのセントポール)
それでも天井の高さ56メートル、大聖堂の鐘楼 ヒラルダの塔は高さ88メートル。
ここにはコロンブスの遺灰が祭られている。これは1894年にキューバから送られてきたものだ。
この遺灰 近年DNA鑑定をしたらどうやら別人のものらしい。
posted by Goro at 08:25|
Comment(0)
|
TrackBack(0)
|
旅行記
2006年12月16日

大聖堂の鐘楼は「ヒラルダの塔」といって風見鶏までの高さが88メートル、鐘が吊るされている所まで70メートル以上はある。ここまで登るのにエレベーターはない。昔は馬で上がってきた。
この大きな鐘、よく見ると鐘の両側の壁にモーターが取り付けられている。
多分このモーターで鐘を突いていると思われる。
地上からリモコンで鐘が突ける時代になったのだ。
これで馬がリストラになったのか???ウマくないなぁ。
posted by Goro at 07:52|
Comment(0)
|
TrackBack(0)
|
旅行記

ヒラルダの塔よりセビリヤの市内が一望できる。
どこかに「セビリヤの理髪師」はいないかなぁ。
それはロッシーニに聞いてくれ。
posted by Goro at 07:59|
Comment(0)
|
TrackBack(0)
|
旅行記
2006年12月17日

セピリヤからポルトガルへ向かった。
これからバスに揺られてエヴォラまで4時間 赤茶けた大地とオレンジ畑が続く。
所々に写真のような乳製品の宣伝と思われる広告塔がある。
posted by Goro at 07:37|
Comment(0)
|
TrackBack(0)
|
旅行記

この大聖堂 ポルトガルでは一番大きいけれどもセビリヤの大聖堂を見た後だったので小さく見えた。
12世紀に建築様式がロマネスクからゴシックに変わる時代に建てられた。
ポルトガルの古都エヴォラは、かつてローマ帝国やイスラム勢力に支配されたイベリア半島の縮図である。町にはそれぞれの時代を象徴する建物が残り、「博物館都市」と言われている。
エヴォラの歴史は、ローマ帝国の要塞都市として始まった。町は6キロに及ぶ城壁で囲まれ、この中で独自の繁栄を遂げた。8世紀になると北アフリカから侵攻してきたイスラム教徒が、この町を商業都市として発展させた。12世紀、エヴォラはレコンキスタの中心ともなり、キリスト教徒がイスラム教徒から土地を奪い返す。キリスト教徒の手に戻ったエヴォラに大聖堂の建設が始まり、1204年に完成した。16世紀、この大聖堂にイベリアパイプオルガンが設置され、天正遣欧少年使節の少年たちもまだ新しいこのオルガンの音を聞いたといわれている。今ではイベリア半島で最も古いオルガンのひとつとなった。
posted by Goro at 07:54|
Comment(0)
|
TrackBack(0)
|
旅行記
2006年12月18日

このエヴォラの大聖堂 日本との関わりがある。
キリシタン大名は南蛮貿易の利益や武器の輸入を期待して、1582年に天正遣欧少年使節団をローマ教皇のもとに派遣した。
その途中 この大聖堂に立寄った。
すでにこの時日本を出てから2年が経過していた。
写真のパイプオルガンは少年使節の二人が弾いたものである。
初めて弾いたのだからド・ミ・ソ・・・・くらいか??
日本へ帰ってきた彼らを待ち受けていたものは禁教令。
彼らは殉教したり、マカオに追放されたり過酷な運命を生きた。
posted by Goro at 08:15|
Comment(0)
|
TrackBack(0)
|
旅行記

大聖堂の近くにローマ神殿がある。大理石の礎石の上に神殿が再建されたものであるが、この建物2世紀に作られたものでイタリアに残るローマ神殿に比べると見劣りするが、イベリア半島に残されているローマ時代の遺跡の中では価値あるものだ。
posted by Goro at 08:26|
Comment(0)
|
TrackBack(0)
|
旅行記
2006年12月19日

ローマ神殿の近くに街を一望できる展望台がある。
ここの植込みが面白かったので撮影した。
posted by Goro at 08:07|
Comment(0)
|
TrackBack(0)
|
旅行記

賑やかな表通りから細い路地に入ると買い物かごや食器など日用品を売っている店がある。表通りのお土産屋よりももっと素朴で土地の匂いのするお土産が見付けられる。
ここで羊の皮のスリッパを買った。
こんな所でも日本のフィルムメーカーの旗が見える。
posted by Goro at 08:21|
Comment(0)
|
TrackBack(0)
|
旅行記
2006年12月20日

ベレンの塔は1519年 船の出入りを監視するために建てられた。
「テージョ川の貴婦人」と異名をとる要塞だ。
posted by Goro at 08:09|
Comment(0)
|
TrackBack(0)
|
旅行記

ベレンの塔の前の広場に昔の飛行機が展示してある。
説明文によるとリンドバークが大西洋無着陸横断飛行をする前に大西洋を横断した飛行機らしい。
フロートが付いているので大西洋有着水・途中燃料補給・横断飛行をしたものと思われる。
posted by Goro at 08:18|
Comment(0)
|
TrackBack(0)
|
旅行記